伝説的ルチャドール“聖者”エル・サントに会いにハルディン・サント(Jardin Santo)に行ってきた!!
Contents
「メキシコ旅ナビ」メキシコシティ街歩きルチャ・リブレ編
¡Hola! Domingoたなかです。
このページでは、メキシコの伝説的ルチャドール“聖者”「エル・サント」に会い行った話を紹介します。
この記事で分かること。
- メキシコシティの治安。
- メキシコシティの街並み。
- メキシコシティの市場(メルカド)。
- ルチャ・リブレのこと。
- プロレスファンの気持ち。
- エル・サントのこと。
エル・サントに会いに行く話をさせていただく前に、なぜ、わたしがルチャ・リブレにハマったのか?そんな背景を知っていただきたいので、よければ、そこからお読みください。
「そんなんえぇから、サントの話、してくれ」と言う方は、上の緑色の文字「6.エル・サントの銅像、できたってよ!!」をクリックorタップしてプランチャで飛んでください。
根っからのプロレスファン
わたしは、幼稚園児くらいの頃からプロレスが好きなんです。初代タイガーマスクのころ。ドラえもん、ギャバン、シャイダーなどの宇宙刑事特撮ヒーローのあとに新日本プロレス。
その後は、クラッシュギャルズ、極悪同盟からの獄門島、90年に西脇充子さん(浅香山親方(=魁皇)夫人)の引退を機に向かえた冬の時代。対抗戦ブームの走りとなる92年のブル中野、北斗晶組対工藤めぐみ、コンバット豊田組の一戦。
当時、4人の関係性、背景がよく分かっていませんでしたが、興奮しましたねぇ。「やっぱ、ゼンジョ強いね」みたいな。
そして特にハマったのは高校時代四天王時代の全日本プロレス。年に8回あるシリーズの最終戦は武道館。いつも4,000円の席でしたが、まだカードが決まっていないにもかかわらず、次回の武道館のチケットを買っていました(あの時はハズレがなかったんですよね)
そして、高校時代に未開の地に足を踏み入れることになるんです。それが「ルチャ・リブレ=自由な戦い」メキシコのプロレスですね。果たして、ルチャ・リブレをプロレスとカテゴライズしていいものか、迷いますが、「戦い」ですからルチャ・リブレもプロレスです。
ルチャ・リブレとの出会い
中学生のころ、ユニバーサルプロレス連盟(いわゆる“ユニバ”)が旗上げをしていましたからルチャ・リブレの存在は知っていました同じクラスのMくんとHくんの軟式野球部の大型コンビがプロレス好きで、いつも週刊ゴングを学校に持ってきていましたし。
その週刊ゴングで、強烈に覚えているのがルチャドールたちの技を連続写真で載せているというもの。ルチャドールたちの技は猪木さんのコブラツイスト、卍固め、馬場さんの16文キック、ジャンピング・ネックブリーカードロップのように「ぱっと見」で分かるような技ではありませんよね?それを分かりやすく順を追って連続写真にしてくれていたのが週刊ゴングなんです。
ルチャの技に魅了
わたしの家は週刊プロレス派だったので、週刊ゴングは試合グラビアや写真の使い方、記者のレポート(週プロは記者の考え、想いが。週刊ゴングは試合の流れが書いてあった)に違和感を抱きながら読ませてもらったのをよく覚えています。当時は週刊プロレスにはあまりユニバの試合は載っていませんでした。
なので、Hくんが持ってくる週刊ゴングのルチャドールたちの技の連続写真に興奮していました。あとはあのマスク。派手なマスクに飛び技が映えるように作られたコスチューム。あの頃は、ケンドー、カト・クン・リー、ボラドール、ミステリオッソ、コナン(エル・バルバロ)とかの時代です。
「こんなプロレスがあるのか…」
当時、中学生だったわたしは猪木さんのようなストロングスタイルでもない、馬場さんのような王道プロレスでもない、第三のプロレス…みたいな感じで見ていました。(すでにFMWはありました)
ルチャ・リブレを見に「メキシコに行く!!」
そんなわたしに運命の出会いが。高校三年生の3月。メキシカンプロレスのルチャ・リブレを見に行くことになるのです。高校3年の夏か秋か、そこいら辺で「ルチャ・リブレ観戦ツアー」の募集が週刊プロレス(だったかな?)の裏表紙に載っていました。確か3回目だったと記憶していますが、ツアーの企画はカカオ・プランニングさん(現:覆面屋工房さん)
行程を見てみると、関空からしか出ていない…(カカオさんが京都にあったので京都の旅行会社を使っていたため)ですがダメ元で旅行会社に問い合わせてみると、例年は関空からしか出発はしていなかったけど、要望もあり、今回は関西組、関東組(成田空港から)のツアーです。と言うではないですか。
「¡Enseio!」とは、当時、言いませんでしたが、これは行くしかない。と。しかも出発が高校の卒業式の日、というまるで、プロレス好きな少年が日本では体格的にレスラーになれないから、ルチャドールを目指してメキシコに行く…そんなストーリーがここから始まるかのようなタイミングでした(ルチャドールにはなっていません)
はじめてのメキシコ
はじめてのルチャ・リブレ
はじめての海外…ではない
そして高校卒業式のその日、メキシコに向かいました。メキシコシティのアレナコリセオ。アレナ・メヒコ。少し郊外のアレナ・ナウカルパン…
リスマルク、ブラック・ウォーリア、ミステル・二エブラ、スカイディ、コナン、ウルティモ・ドラゴン、SHINOBI、ビジャノファミリー、ショッカー、レイ・ブカネロ… はじめて見る生のルチャ・リブレに感動。
翌年の2月。カカオ・プランニングさんはCMLL JAPAMを立ち上げ、メキシコからルチャドーを大量招聘。この時、エル・サントの息子イホ・デル・サントが来ていたのですが、その人気がすごかった!!
メインが終わり、後楽園ホールのリングには、プロピーナ(おひねり)が飛び交う、飛び交う。(ユニバでもあったようですが)
そして即席のサイン会。場内はサントの曲が流れています。この時、この空間、わたしは完全にルチャ・リブレに心を打たれました。
イホ・デル・サント決して派手さはないシルバーメタリックのマスク。それでいてきちんと目の周りに縁取りもされている。それがまた同じ色なので、主張していない。技も派手ではない。でもトペは一級品。そしてフィニッシュホールドはカバージョ(ラクダ固め)基礎あっての実力を感じさせるイホ・デル・サント。
ですが、その父、エル・サントはメキシコではかなり、というか超有名。
映画、リメンバーミーでもフリーダ・カーロっぽいキャラとマスクマンが出ていたのですが、そのマスクはもろにエル・サント。
生存時はテレビや映画にも出ていたり、その人気は猪木、馬場をしのいでいたのではないでしょうか。そんなエル・サントに会いにメキシコに行ってきました。
ルチャ・リブレの英雄 エル・サントの銅像、できたってよ!!
完成した時、週刊プロレスでそのことが小さく載っていました。「エル・サントの銅像完成 メキシコ」みたいな。名前も「ハルディン・サント(Jardin Santo)」(サント庭園)とついています。かっこいい。これはいつしか行かないといけないな、と。力道山先生のお墓にも行ったことのないプロレスファンが、ルチャ・リブレの英雄の銅像は拝みたいというよく分からない感情がずっと心の奥に引っかかっていました。
しばらくその存在を忘れていたのですが、今回、メキシコに行くことになり、サント庭園のことを思い出し、ネットで調べてみると… 場所がよくない。
エル・サントの銅像がある場所。それはメキシコシティでも貧困層が多く治安が悪いとされているテピート地区。その手前には「ひったくられたものが売られている」と言われているラグニージャ市場。不安しかありません。それでも、やはりルチャ・リブレを愛するわたしとしては、ネットで人様が上げてくれている写真より、実物を、本物を、この目で見たい。と思い、いざ聖者エル・サントに会いに!!
いざ、ラグニージャ市場へ
テピート地区へはまず、ラグニージャ市場を通らないといけません。ソカロ近く宿に泊まっていたわたしは、ソカロを超え、国立宮殿の通りへ。ここも地元の人が集まる食堂があったり、買い物したりしているお店、市場がたくさんあります。途中、市場へ入り、ニワトリさんをさばいているところを見せてもらったり、お食事、お買い物の邪魔にならない程度にブラブラ。
市場を出て、あちこち見境なく、どんどん奥へ進んで行くと…道に迷いました。(わたしは極度の方向音痴なんです)そこで、Google Mapで現在地を調べてみると(今回、かなりGoogle Mapにはお世話になりました)いつの間にかラグニージャ市場の方まで来ているじゃないですかw
ちょうど、お昼時だったので、屋台のタコスを買い、美味しそうなカットフルーツのパイナップルも買い、(量が多くて舌がヒリヒリしましたが)公園の水が出ていない噴水の縁に座り、地元の人たちを眺めながら、一人、メキシカンランチを楽しんでいました。
この時、思ったのは「治安が悪いと言われているけれど、ラグニージャ市場、意外と大丈夫じゃん(昼間は)」ということ。夜は歩いていないので、責任は取れませんが、昼間、歩く分には問題ありませんでした。No,Probremaです。市場も警察がウロウロしていましたし。
ひとり、メキシカンランチを楽しんだわたしは、食べ過ぎたパイナップルでヒリヒリした舌を気にしながら目的地のハルディン・サントを目指しました。ラグニージャ市場を抜けたわたしはGoogle Mapを頼り治安が悪いと言われているテピート地区にある目的地のハルディン・サントへ向かいました。
ここが真のテピート地区か…?
テピート地区、ラグニージャ市場の間にあるこの交差点(E JE 2 NORTE)を右折(ソカロ方面から来た場合は左折)すると、一気にお店はなくなり、賑やかさがなくなりました。
そして、その変わりに目に前に現れてきたのは、朽ちた家、道路の端にはパンクした車やタイヤがない車、汚くて怖い顔したいかつい犬、汚い服を着て穴が大きく開いたズボンをはいて真っ直ぐ歩けていないおじさん、そして何件かの雑貨店(小さいコンビみたいなメキシコによくある店)がある程度。
こんな風景を見て、わたしは思いました。
「いやいや。ラグニージャ市場やテピート地区より、危ない臭いがするな」と。いや、「もしかしたら、テピート地区の治安が悪い。と言うのは、このことを言っているのかも?」と思いました。先を急ぐと、大きくてきれいなコカ・コーラのトラック。雑貨店に卸しているのでしょうか? ここに仕事に来る人も大変だな、と思います。
さらに歩いて行くと、でた… このあとよく見ることになる、怖い顔したいかつい犬。躊躇なく、平気で人を噛みそうです。(怖くて写真は撮れませんでした)いるだけで威圧感。
そんな犬を飼っている、ということは、防犯対策なのでしょうか、やはり、ここらへんがガイドブックで言っている「治安が悪いテピート地区」なんでしょう。しかも、並ぶのは車の修理屋さんばかり。車の部品が小さい店の中にたくさんおいてあります。
みんな何かしら車をいじっていました。機械油の独特のにおいが鼻を刺激します。Google Mapで見ると、どん突きはもう少しな感じ。この先を抜ければ、目的地のハルディン・サントです。車の修理屋さんと通りを抜けると、目の前に大きな通りが。
「やったー。怖い通りを抜けて大通りに出たぞ」
と思った次の瞬間、メキシコシティでよく見かける二階建てバスが走っているじゃないですか。そして、メトロブスもw
ついに、エル・サントとご対面!!
おいおい、おいおい、おいおい、(大仁田劇場)この通りって、もしかして、レフォルマ通りにつながる道なんじゃないの?メキシコシティ12回目のわたしは思いました。
そして、目の前に緑が茂る公園があり、ここがハルディン・サントかと思いきや、前の看板には「Jardin・Gorostiza」と書いてある。ハルディン・サントじゃないんかい…
「あれ?エル・サントはどこだ?」この看板のある歩道を左に曲がると、「あ!!なんか立っている…」それは、もうエル・サントにしか見えません(涙)
この時、わたしの頭の中は1997年2月に後楽園ホールで聞いた「イホ・デル・サントの歌」がかかっていました。銅像は親父なのにw
ついにご対面することができたエル・サント(銅像ですが)でかい、しかも逆光でだれかよくわからない…残念
滞在時間は10分、あったでしょうか?多分なかったです。二人で行ったのなら、写真を取り合ったり、持参したエル・サントのマスクをかぶり、銅像と同じ格好をして写真を撮る、なんてのも可能ですが、一人だとそれが出来ないのがツラいところ。現地の誰かにお願いしてもよさそうなんですが、渡したらカメラ(iPhone)を刹那に持ち逃げされても困りますしね。
帰りは来た道ではなく、当然、大通りを使いました。アウトブスやメトロブスが走りまくっています。道は広いし、人は歩いているし、怖い顔したいかつい犬もいません。通り一つ違うだけで、こんなにも違うのかと思います。
歩いていると、何か広場がありました。これは、まさに、あの、メキシコと言えば、マリアッチ!! そのマリアッチで有名なガリバルディ広場!!
ガリバルディ広場、ここも夜は危ないから行くな、と言われている危険スポット。
日中は、ふふふ。人があまりいません。でも、怖い顔したゴツい犬を散歩させている人がいました。ここにもいるのか。怖い顔した犬。あと、汚いおじさんもいました。日中でもそんな感じの公園なのかな?という感じです。少し寄り道しましたが、大通りを歩き続けます。
すると左側、約11時の方向に、ラテンアメリカタワーが見えてくるではありませんか。「やや!!これは、どういうことだ?」と、いうことは、この道をゆけば、どうなるもの、危ぶむなかれ… ではなく、この道を行けば、ラテンアメリカタワーに着く=ソカロ付近ということ。
この時、わたしは気づきました。「ハルディン・サントに行くのに、わざわざ、治安が悪い(とされている)テピート地区やラグニージャ市場を通らなくても行けるじゃないか…」と。もうあとは、ラテンアメリカタワーを目指して歩き、左側にベジャ・アルテス宮殿が見えてきたところで、ハルディン・サントへの街歩きは終了。
ハルディン・サント(Jardin Santo)
※オススメ度:☆☆☆☆☆(プロレスファン、ルチャ・リブレ好きなら一度は行くべし)
※街歩き充実度:☆☆☆☆ (わたしは市場を回ったので遠回りでしたがソカロからでも歩きごたえ十分。ですが、独立記念塔がある辺りに宿を構えている場合、ハルディン・サントだけ見るなら公共機関を使ったほうがいいかも知れません。
※メトロ最寄り駅:イダルゴ駅
※感動度:☆☆☆☆☆ (そりゃ、もうプロレスファンですからねぇ…)
※治安状況:☆☆(☆3にしたいですが初めて行かれる方にとっては、という見方で)
※所要時間:1時間~1時間半(歩きの場合)公共機関を使えば1時間もあれば十分。
※使ったお金:お昼に食べたタコス4つ60ペソ(約342円)、カットフルーツ(パイナップル)25ペソ(約142.5円) フルーツカクテル10ペソ(約57円)
ハルディン・サント(Jardin Santo)への歩き方
ガイドブックやネット情報に載っている「テピート地区」「ラグニージャ市場」を通らなくても行ける。しかも安全な大通りで。
・ソカロ周辺で宿を取っている場合。
ベジャ・アルテス宮殿とラテンアメリカタワーの間の道から歩く(要30分~45分)
・ソナロサ周辺で宿を取っている場合。
地下鉄でイダルゴ駅まで行き、歩く。ソナロサからメトロブスに乗る。あるいは、宿でタクシーを呼んでもらい「Jardin Gorostiza」まで行く。「Jardin Santoまで」なんて言っても分からないかも知れません。(到着したら待っていてもらい、エル・サント像だけみて帰る。見るなら10分もかからないし、銅像だけなので)もちろん、待っていてもらったタクシーの運転手にはチップを。
以上、伝説的ルチャドール エル・サントに会ってきた でした。
【免責事項】
情報は2019年1月23日のものです。あなたが行かれる場合、記載の情報が変わっている場合がありますのでご了承ください。記載中の簡素位はあくまでDomingoたなかのメキシコに対する価値観なので、現地にて何が起こっても当サイト、Domingoたなかは一切の責任は負いません。